親魏倭王のお部屋

noteで活動中の元学芸員・親魏倭王の雑記帳。広報も兼ねています。

翻訳の話

海外の著作(小説に限らない)を読むとき、その言語に精通していないと言語で読むというのは難しく、それゆえに翻訳家の方々には足を向けて寝られないのですが、訳文がけっこう「読者のイメージを左右してしまう」ところがあり、シリーズもので各巻の役者が異なる(個々の巻が独立しているタイプのシリーズに多い)場合、一部の「雰囲気が違う訳」がノイズに感じられることがあります。今回はそのあたりについて書いてみます。なお、本文はTwitter(X)からの転載です。

訳文について

シャーロック・ホームズシリーズは、どういうわけか長編を新潮文庫、短編を創元推理文庫で読んだので、延原謙阿部知二双方の訳文を知っているし、それに馴染んでいる。

最近、古典の新訳が進んでいるが、時代に即した訳文で読みやすい一方、時代背景を考慮すると「ちょっと口調が軽すぎないか」という部分もあり、難しいところである。以前に投稿した気もするが、『シャーロック・ホームズの冒険』の角川文庫版でワトソン博士のセリフが「なんで?」になっていたのは、当時のホームズ&ワトソン博士の社会的地位からすると、砕けすぎた口調で違和感があった。

僕がわりと古い訳文のほうを好んでいるのは「時代背景に合った格調の高さ」があるからだったりする。ただ、昔の創元推理文庫に多かったが、人名表記に「ん?」と思う部分があり、それがより原語の発音に近いと思われるもの(例:メイルジャア→マリーガー)に直されていたりするのは新訳のありがたいところである。

以前、どこかに書いた気がするのだが、ハヤカワ文庫旧版(クリスティー文庫ができる前)の『エッジウェア卿の死』の訳文が、他の作品と比べてものすごく読みにくかった。口調がぜんぜんポアロらしくないのである。

海外小説は訳文で読み心地が変わる他、シリーズだと各巻間の文体の整合性も問題になってくるように思う。ハヤカワ文庫旧版のポアロシリーズも訳者の違いによる「揺らぎ」があったのだが、個人的に『エッジウェア卿の死』の逸脱は甚だしく感じた。

ただ、クリスティーに関しては、創元推理文庫よりハヤカワ文庫のほうが読みやすく名訳だったように思う(特に田村隆一氏)。

余談ですが、怪盗ルパンシリーズの堀口大學訳(新潮文庫)は名文であるものの、ルパンの一人称が「わし」になっていて少し違和感がありました。

今回はこの辺で。